伝承をもとに3DCGで描く
“ズレ”た奇妙な場所とは。

アトピアだより

3DCGの映像作品《アトピアで盆踊り》から

東京藝術大学大学院美術研究科博士課程に在籍する菅野歩美さんは、土地にまつ わる物語や伝説など、フォークロア(伝承)をもとに映像インスタレーションを 制作している。3DCGを駆使した映像は、実在する土地を描きながらも、もう一 つの場所としての物語を生み出し、見る者に身体感覚のズレや違和感を感じさせ る。2022年10月に開かれた展覧会「アトピアだより」を訪れ、菅野さんに話を聞いた。


場所ではない、もう一つの場所を

東京・広尾にある「コートヤードHIROO」で開催された「アトピアだより」展。アトピアとは、ギリシャ語で「場所ではない」、「奇妙な」といった意味を持つ言葉だ。菅野歩美さんがウィリアム・モリスの小説『ユートピアだより』に着想を得たという同展は、ユートピアの訪れを想像するのが困難な現代において、そんな不思議なところから送られてくる手紙をイメージしたのだそう。

展示室に足を踏み入れると、暗い空間に配置された大きな横長のスクリーンが目に飛び込む。床には青い絨毯(じゅうたん)が敷き詰められ、クッションが置かれていた。そのためか、まるで海原を進む客船の内部にいるような居心地の良さがあり、旅に出ている感覚にとらわれる。

横長のスクリーンに映し出されているのは、展示室の壁面のサイズに合わせて制作された3DCGによる映像作品《アトピアで盆踊り》だ。今年初めに奄美大島に移り住んだ妹を訪ね、二人で島をめぐった際の記憶と記録をもとに、“もう一つの島”を映像で再構築した作品である。鑑賞者は映像とともにその島を旅していく内容となっている。

青い絨毯が敷き詰められた展示室。右のスクリーンに映るのが《アトピアで盆踊り》

奄美大島をもとに描かれた港。映像には船も登場し、展示室の空間と呼応するよう

船の窓から島を見る。ギャラリーの壁自体が船の一部に見える

「学部生時代から、場所に根ざした風習や、物語、神話などのフォークロア(伝承)をテーマにして きました。いつも地方の土地をモデルにするのですが、実際にその地を訪れたことがなかったり、 馴染みがなかったりしても、なぜかふと懐かしく感じられることがあると思うんです」と、菅野さん。

奄美群島の多くは、旧盆に先祖供養を執り行うのが通例だ。空から先祖が降りてきた時に帰る家の 目印として、七夕飾りを玄関先に飾る習わしがあるのだそう。しかし、その土地に先祖を持たない 移住者は独特の風習をどう受け止め、どう過ごせばいいのだろう?そんなことを考えながら制作した作品だという。

妹の住むマンションに似た建物と七夕飾り

「CGというだけで取っつきにくさを覚える人もいると思うので、どこか懐かしさを感じられる映像 にこだわりました」と菅野さんが言うように、色とりどりのオブジェクト(物体)がキラキラと光 る様子は幻想的で、いつか耳にしたおとぎ話のような世界を思わせる。

また、映像には、同作品を見ながら録音された菅野さんと妹の会話が流れる。まるで友人姉妹の話 を聞いているような、笑いを誘う親近感のあるやり取りだ。ただ、映像の中に映るものや場所が(島 内に暮らす)妹には伝わらなかったり、島の地形について妹より(島外に暮らす)菅野さんのほう が知っていることがあったりするのが、音声を通してわかる。実際の場所とCG映像との間にズレが あるように、二人の間にも行き違いが起きているのが面白い。




菅野さんと妹の会話がスクリーン外の左上の壁に投影される。映像の外に字幕を配置したことで、島の“外”で話していることが強調されているようだ

だが、島内を探検するように映像が進むにつれ、動きがスムーズではなくバグのような違和感があることに気づく。そして、一人も人物が登場しないことにも。

そう、実際に存在する場所を扱いながら、CGでつくり出されたもう一つの場所に人は住んでいない。ゆえにコミュニティも存在しない。果たしてそこは“場所”であるのか――と考えながら、次の展示空間に移動する。

CGと実写の間で

二つのスクリーンが対称的に置かれた《未踏のツアー》は、福島県の西会津町をモデルにした映像 作品だ。「西会津に行ったことがない人への観光ツアーという形式で、4つのコースを案内しています。遺跡をめぐるコースや、池の跡地をたどるもの、特典のナイトビューなどもあるんですよ」と、菅野さんが教えてくれる。

左側にあるのが、《未踏のツアー》というタイトルの通り、菅野さんが現地を訪れる前に制作した3DCG映像。西会津に関する物語を集めたり、昔語りをする現地在住のおばあさんからオンラインで伝え聞いたりしたことをもとにしている。

そこには、西会津の地図をトレースして実際の地形をなぞりつつも、かつて存在した今はなき湖が登場したり、伝承に関する架空のオブジェクトが同居したりする。時間と空間がいくつもの層となって同時に現れるCGの中を導かれるように進んでいくと、身体までもが時空から解放され、未知の旅に参加しているような気分になっていた。

左のスクリーンに3DCG、右に実写映像が配置された《未踏のツアー》

3DCGと実写のどちらにも登場する祠(ほこら)

3DCGには手描きの木の絵なども見られる

3DCGでは視点が空を飛ぶように山を越えるが、実写ではトンネルの中だ

そして右側に置かれているのが、CG映像を制作したのちにつくった作品。実際に西会津へ赴き、現 地に暮らす友人と車を走らせ撮影した実写映像で、CGと同様のルートを進む。ところが、実写では トンネルを抜けるのにCGでは山を貫通したかと思えば、双方の映像に実際に存在する建物や山並み が現れもする。どちらが町の本当の景色だろうと考えているうちに、ここでも、《アトピアで盆踊り》のように違和感やズレが生じてくる。

作品を体験した後は、どこかで見たことがある場所を知ったような気分になると同時に、しばしの間、どこにも存在しない地へ誘われていたような感覚に陥った。まさに、奇妙な手紙を受け取ってしまった余韻なのだろう。

伝承や地名、モチーフなどを描き込んだ手描きの地図

展示の説明書きは全てプロジェクターで投影。アトピア(=場所ではない、奇妙な)からの手紙をイメージした展示にぴったり

物語を伝える3DCGの可能性

「伝承とは、伝える人がいなくなったら消えてしまうものです。また、実際にその地を歩いてみなけ れば出会えない物語も存在します。そういったものを失わずにこの先どうやって残していけるのか? と考えたとき、3DCGが一つの手段になるのではないかと思うんです」と菅野さんは話す。

CG映像であるからこそ、想像と現実の間を行き来しやすくしてくれるのだが、その行ったり来たり している行為自体が「伝承」の輪郭をなぞることでもあったのか、と思わされる。

「土地の内部にいる人にしかわからないこともあれば、外部の者でなければ気付けないこともあると 思います。場所なのか場所でないのかわからない映像の中の“場所”を通じて、今までになかった 想像や考えが湧き上がってきたら嬉しいですね」と菅野さん。


3DCG映像から一場面を切り取り、プリントにした作品も展示された。旅の道程でお気に入りの風景を撮影し、写真を飾る日常の行為を思わせる。

彼女はこれまでリサーチを通して、それぞれの土地によって伝わる物語は異なるものの、人の心の根底には共通するものがあると感じてきた。それは、先人を敬う気持ちや、先祖の魂を自然の中に見いだそうとする祈りのようなものだという。

「現代では“故郷=帰る場所”という概念が変わりつつあるのではないでしょうか。どこにも帰属意 識を持たない人が増えているのでは、と。特に東京などの都心部では顕著ですよね。でも、そのこ とを否定するのではなく、見落としてしまっていることに光を当ててみたいと思うんです」

菅野歩美さん

どんなに自分とは関係のないと思われる土地の話でも、自分がいま住む場所につながっていることがあるのかもしれない。どこか別の場所を通して、身近な場所について考えるきっかけが生まれるのかもしれない。そして、距離的な遠さや、時間的な遠さゆえにわかり合えない人の心と心を、もう少し近づけることができたら。菅野さんは制作を通じて、その可能性を探している。

 

写真:高橋マナミ 編集・文:中村志保