記憶を写し、共有する。
知らない歴史を知るために。
平和資料館の上に
アートスペースを開設する
長崎県に位置する「岡まさはる記念 長崎平和資料館」のスペースを使い、2020年から始まったプロジェクト「平和資料館の上にアートスペースを開設する」。企画者の牧園憲二さんは、自身が住む九州の地理的・歴史的な利点を活かし、韓国や台湾などのアジア圏においてフィールドワークや滞在制作を重ね、そのリサーチの中でこの資料館と出会ったという。この2年間、当館に従事する人々に協力を仰ぎながら、日本とアジアの関わりを問う膨大な資料のアーカイブ化と、アートスペースでの展示を行ってきた。牧園さんと、共同制作者の一人である古閑慶治さんに話を聞いた。
「残す」作業
長崎県長崎市の西坂町という場所に「岡まさはる記念 長崎平和資料館」はある。牧師であり市議会議員でもあった岡正治氏(1918~94)が収集したり書き留めたりした、膨大な資料が保管されている資料館だ。岡氏は生前、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の代表を務めた。日本のアジアへの侵略が引き起こした悲惨な歴史を風化させないために、戦後も償われることのない朝鮮や中国などの人々がおかれた状況を告発することに生涯を捧げた人物だという。
現在は、岡さんの遺志を継ぎ、「人々の苦しみの深さを知り、同様に与えた苦しみの深さも知らない限り、平和を築くことはできない」という信念のもと、市民の手で設立されたNPO法人によって運営が続けられている。
牧園憲二さんが美術家の崔栄梨(チェ・ヨンリ)さんとともに、岡まさはる記念長崎平和資料館を訪れたのは2020年のことだ。収蔵されている貴重な資料の数々を目の当たりにし、とにかく驚いたという。そこで、「すごい場所がある」と、炭鉱をはじめリサーチをベースに制作を行っている古閑慶治さんを誘って再訪することに。
元は中華料理屋だったという建物を利用したこの資料館。「特に歴史的遺構というわけでもなく、老朽化が進んでいるため、存続の危機に面しています。この場所を守ってきた人たちも高齢化が進み、このままでは多くの貴重な資料は散逸していくことになる」と古閑さんは話す。
何かできないか―そんな思いから、プロジェクト「平和資料館の上にアートスペースを開設する」がスタートした。「今後失われてしまうかもしれない資料を撮影し、デジタルアーカイブ化することから始めてみよう」と、牧園さんと古閑さんは動き出した。まずはデータとして見られる状況を作る。より広く共有することができるように、と。
「僕たちは“おかスクラップ”と呼んでいるのですが、岡正治さんが残したスクラップブックが本当にすごくて。いろいろな機関と交渉したり、戦没者慰霊の忠魂碑をめぐって訴訟をしたりした記録がこと細かに記されているのですが、その表紙にはお菓子箱の裏を使っていたり、レシートが貼り付けられていたり。もちろん文字は手書きですし、岡さんの“手”がここにあるという感覚になりました」と、牧園さんは言う。
一方、古閑さんはこう話す。「こういった資料に残されている記憶が全て忘れ去られてしまったとしても、僕たちは生きていけるし何も問題はないのかもしれません。でも、未解決になっている問題は、現在の僕たちに影響を与えていることは事実です。資料の存在を知ることで、身近な問題へとつながっていくはずだから、“観測可能”な状態にすることはとても大事だと思います」
1階の展示室では外国人被爆者にまつわる資(史)料や、炭鉱の抗口を再現したものなどが見学でき、上階へと続く階段部分には、日本の朝鮮・中国侵略の歴史を物語る写真が展示されている。2階には、強制連行や慰安婦問題、南京大虐殺をはじめとする、日本帝国主義とアジア諸国の歴史が記された資料が閲覧できるようになっている。さらにこの展示室の奥には書庫があり膨大な資料が収蔵されている。誰もが閲覧できるようになっているものの、ほぼ閉架のような状態なのだという。
写しとるもの、存在しないものを可視化するもの
そして、建物には3階があって、牧園さんと古閑さんはアーカイブ化の作業をするかたわら、その空いたフロアをアートスペースとして活用する取り組みをしてきた。2021年3月に展示を行い、2022年3月にも改めて、より深化させた形で展示を開催する予定だ。
昨年の展示では、労働者追悼碑のフロッタージュ作品を制作した。石碑につかまり、身体を動かして文字をこすり取る作業は、古閑さん曰く「肉体と物体の存在を確認するような不思議な感覚」だったそう。さらに、2点のフロッタージュ作品に紛れるように、設計図はあるものの建立が実現しなかったという碑をモチーフにした作品も展示した。存在しなかったものが、存在しているものと同等に存在し、また、これら一連の作品は、紙ではなく、スクラップブックや資料を撮影する際に使用した大きな白布を使ったことも興味深い。碑の文字を記録すると同時に、「包み込む」という要素も立ち上がり、アーカイブ化する作業と呼応するようだ。展示室では天井から吊り下げられることで、本来であれば地面に重量感をもって立つ石碑が、風に軽やかに揺らぐような風景までもが想像できる。まるで過去・現在・未来が同じ空間に存在するかのように。
牧園さんはこう続ける。「昨年の展示では、古閑さんと一緒に一つの作品を作り上げるような試みだったのですが、そこから1年が経ち、資料館のスタッフや街の人たちと話したり資料を読み込むなかで、より理解が深まったような気がしています。また、制作する3人それぞれが感じることや価値観は違う、違っていいんだということにも気づきました。だから今年は“こうするべきだ”と押し付けるのではなく、それぞれが異なる表現で展示をしてみたいと考えています」
近くにあるのに知らない歴史
牧園さんは2008年に東京藝術大学大学院を修了し、主に映像や写真を使った制作を続けてきた。 2011年に故郷の福岡に戻り、韓国や台湾をはじめとするアジア圏のレジデンスプログラムにも精力的に参加している。そのなかで、日本との戦争の歴史を物語る追悼碑を見たり、自身の祖母が台湾に暮らしていた時期があることなどを改めて知り、「身近にあるはずの歴史を知らない」ことに愕然としたのだという。「地元が福岡という地であることが、アジアへ目を向けるきっかけになっているのかもしれません」と、牧園さん。
古閑さんは奈良県の出身で、数年前に福岡へ移住。5年に1度ドイツで開催される国際的な美術展「ドクメンタ」を訪れた際に、リサーチをベースにした作品が西欧ではきちんと評価されていることを目の当たりにし、「感性や、作りたいと思うものに突き動かされて表現する芸術もあるけれど、リサーチの作品制作をしてもいいのだ」と考えるきっかけとなった。“行方知れず”となっている自身の祖父が日雇い労働者であったという情報をもとに、ドヤ街として知られる大阪の西成区でフィールドワークを重ね、ドキュメンタリー映像の制作などを行ってきた。「祖父のような日雇い労働者の一部は炭鉱を離職したのち、職を求めて大阪へ入ったようです」と古閑さんが言うように、炭鉱の歴史と祖父との接点が、いくつもの炭鉱を持つ長崎での今回のプロジェクトにもつながった。過去の歴史や記憶を辿ることで「自分たちが今、どこに立っているのか?」と問い続けている。「本当に重要なのは、その“場所”なのではなく、そこにいる“人”であり、そこで行われている“活動”なのだと思うんです。一時的なものとしてではなく、継続的に、恒久的に、表現の可能性を今後も探っていきたい」
「資料館を訪れる度に、スタッフのおばちゃんがお菓子を出してくれて、とても良くしていただいているんです。昨年の展示を見てくれた人たちにも、“こうやって別の見方ができるのはいいね”と温かい言葉をかけてもらったりもして。美術という表現だからこそ、伝わることがあるんだと改めて感じています」(牧園さん)
「平和資料館で三つの補助線を引く」展
古閑慶治、崔栄梨、牧園憲二
会期:2022年3月25日(金) – 27日(日)
会場:岡まさはる記念長崎平和資料館 3F
時間:10:00-16:00
入場料:無料
※ただし資料館への入館料 (一般250円/高校生まで150円)が必要です。
展覧会URL:https://sites.google.com/view/artspace-in-the-peace-museum/
写真提供:古閑慶治、牧園憲二 文:中村志保