戻ってきたいとき、いつでも「おかえり」と
出迎えてくれるまちを、ダンスの力で。

地域活性プロモーション映像
『おかえりかすかべ音頭』

自分の地元に、誰もが踊れて誰もが口ずさめるような、そんな楽しいダンスと音楽があったらなんていいだろう。コロナ禍のなかで「地元の地域活性のために何かできないか」と制作された動画、「おかえりかすかべ音頭」が公開されている。企画者の酒井直之さん(東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了)と、振付を担当し、ダンサーとして出演する中村駿さんに、どんな思いで制作したのか話を聞いた。

酒井直之さん(左)と中村駿さん

舞台は、地元の春日部で

高校生の時に演劇部に入ったことがきっかけで、次第にダンスへと興味が移っていくことになったという酒井直之さん。気さくな雰囲気からは想像がつかないが、もともと人と話したりコミュニケーションを取ったりするのが得意ではなかったのだそう。「声も小さくて(笑)。それで、演劇をやったら人ともっと関われるかもと考えたんですが、実際にやってみたら難しくて。ダンスに出会ったのは大学生の時。スピード性もあって人に早く伝わるというか、自分に合っている感じがしたんですよね。それが本格的にダンスと関わることになった始まりです」

一方、中村駿さんのダンスとの出会いはこうだ。「僕はもともとサッカー少年で、高校でもサッカーやろうと思っていたんだけど、怪我をしてしまって断念することに。でも、せっかくだから新しいことを始めてみようと思っていたときに、ストリートダンスに出会いました。みんなが地面でグルグル回っているのを見て、もう単純にカッコいい、これはモテるぞって(笑)。大学ではコンテポラリーダンスを知ることになって、今に至ります」

酒井さんと中村さんは、ともに埼玉県春日部市の出身だ。学年は一つ違うものの同じ小学校の卒業生。だが、大人になるまでお互いに知ることはなく、大学卒業後の2015年、あるコンテンポラリーダンスのコンペティションで出会ったのだという。すぐに意気投合し交流を続けてきたが、コロナ禍で「何か地元のためにできないだろうか」という思いで結成したのが「グローカル・ダンス・コレクティブ」。 2020年から地元の春日部を舞台に、ダンスと音楽による映像プロジェクト「グローカル・トレーニング」をスタートした。



都電荒川線の踏切を背景に、「踊ってください!」と伝えると、瞬時に楽しい動きをしてくれた

同じまちで育ったそんな二人が、地元の住民をはじめ多くの人と協働して制作した、楽曲とダンスによる映像「おかえりかすかべ音頭」を配信している。まずは動画を見ていただきたいと思うのだが、田んぼに囲まれたひらけた場所から映像はスタートし、「かすっかす春日部 ニュー音頭~♪」という歌詞の、なんとも楽しげな曲が流れ出す。春日部のさまざまな名産品や土地を紹介しながら場面は次々と切り替わり、なかでも印象的なのは、出演者として協力してもらった約30カ所の地域の店舗や団体など、地元の人たちの笑顔と踊りだ。

一見するだけでも、「こんな“音頭”が自分の地元にあったらいいなあ」と、思わずにいられない。一度聞いたらメロディを口ずさみたくなるようなリズミカルでテンポのいい曲に、誰もが覚えられそうな楽しいダンスの振り。

制作活動が始まったきっかけを酒井さんはこう話してくれた。「僕が、東京から地元の春日部に戻ってきたのは、2020年の4月ごろ。コロナが蔓延してあまり外出ができない時期で、地元にいた中村君と一緒に映像を撮ったり、遠方に行かずにできることをやっていたんです。地元でやれる活動がもっとあったらいいよね、と。一方で、コロナ禍ではいろいろな問題が見えてきました。たとえばドイツなどでは、芸術に関わる活動が一極集中ではなく地方分権になっていて、文化芸術を支援する制度がちゃんとある。でも、日本は違います。春日部には文化的なものがあまりないので、僕たちも東京に集まるだけではなく、地元で活動ができたらいいのでは?と、本格的にダンスの映像制作を始めたんです」

そして、まちなかでテスト的に撮影をしているとき、「春日部で何がしたい?」という質問を通りすがりの地元の人から投げかけられたのだそう。その言葉を聞いて、「まちを盛り上げるために、お祭りに介入するようなことができたら」というアイデアが浮かんだ。「すぐに『音頭』だね、という話にまとまりました」と酒井さんは言う。

そこではじめは、中村さんの実家を拠点にパフォーマンスを始めたのだそう。「最寄駅から商店街を踊りながら通り抜け、うちの庭がゴールになっているというツアー型のパフォーマンスです。太鼓をたたいて参加してくれる人がいたり、いつの間にか行進になっていました(笑)」と、中村さん。

それが「おかえりかすかべ音頭」の原型になったというわけだ。「中村君と僕で歌詞を考えて、歌をやっている友人でアーティストの長谷川暢さんに渡して、曲を作ってもらいました。藝大の同じ先端(先端芸術表現科)で学んだ田上碧さんも一緒に歌ってもらって」(酒井さん)


「おかえりかすかべ音頭」撮影時の一コマ 画像提供:酒井直之

「音頭」で人々を巻き込む!

「ポップスに近い曲になっていますが、『音頭』と謳ったほうが、みんなが一緒に集まっている感じがあるなと思って。ダンスというと若い人には親しみがあるけれど、高齢の方には少しとっつきにくい印象があると思うので、誰もが参加できる“輪”をイメージしましたね」と、酒井さんは話す。

世代を超えて誰もが覚えられるような、ポイントとなるダンスの振り付けも魅力だ。撮影にあたっては、最初は少ししぶっていた人たちも、踊り始めると「楽しいな!」と笑顔に変わったことが印象的だったそう。「ダンスの力というものを改めて感じたよね」と、二人とも微笑む。

普段から子どもや高齢者向けのワークショップなどを精力的に行う酒井さんと中村さん。教えることはお手のものだったそう。また、最終的には30以上もの地元の人々や団体が出演してくれることになったのには、中村さんが一役買ったという。

「僕の家の目の前が老舗の酒屋さんなんです。夫婦で店を構えているのですが、まちとのつながりが太くて、もとから僕の活動を知っていたので『こんなプロジェクトをやるんだけど、撮影させてください』と言ったら、『もちろん、オッケー!』と答えてくれて。さらに地元の人たちが集まる場で、『こんなことをやっている子たちがいるよ』と広めてくれて、撮影しやすい動線を作ってくれたんですよね」と、中村さん。

『おかえりかすかべ音頭』には、麦わら帽子、羽子板、桐だんすなどの春日部の名産品がいくつも登場するんですが、その職人さんたちに連絡をとったり、道での撮影も多いので各所への許可取りをするのが少し大変でした。でも、分業せずに一つひとつ自分たちでやったので、すごく勉強になりましたね」(酒井さん)

完成した映像は、周囲からの反響も上々だ。「人々のつながりが感じられるし、裏側の苦労も見えるみたいで見ていて楽しい。映像の見やすさもあってすごくいい作品」という声が多く届いている。現代アートというと難しいイメージを抱く人も多いだろう。だが、「おかえりかすかべ音頭」には、こんな形もあるんだと新しい見方を与えてくれ、たくさんの人を巻き込むパワーがある。


画像提供:富澤大輔

地元のまちへの思い

春日部は、駅を挟んで東と西の雰囲気は少し異なるという。東側は日光街道が通り、宿場町の名残りがある昔ながらのまち。西側はベッドタウンとして開発された近代的な空気を持つ。また、特に近年は、春日部に多くの移民の人々が暮らすようになっている。

酒井さんは、普段は移民の人々が彼らのコミュニティの中で暮らし、日本人とあまり交流がないことも気にかかっていたのだという。そんな理由から、映像には移民の人々にも登場してもらいたいと考えた。「みんながどういう暮らしをしているのか日本の人は知らないことが多いです。僕も最初は、このプロジェクトで移民の人たちが切り盛りするお店の紹介にもなったらいいな、という考えだったんです。でも、彼らと話したら、怖い思いもしたことがあるからお店を前面に出したくないという人もいて。だから、“お店”としてではなく、“個”であることを表したいと思いました。一人の人として生活していることがきちんと見えるように」(酒井さん)

今回の制作を通じて、改めて春日部はどんな場所だと感じたか、どんなまちにしていきたいか、二人に聞いた。

「僕が小さい頃から感じていたのは、春日部というまちのある種の寂しさなんです。東京にみんな出て行ってしまうから。これは多くの地方が抱えている問題だと思いますが。芸術文化が育たずに、僕みたいな人間が逃げ場がない感じをすごく感じていて。だからコロナ以降こういった活動をすることはすごく意義があると思うんです」と、中村さんは言葉に力を込める。

酒井さんはこう続けた。「外に求めないでも内にも豊かなものがある状態になったらいいなあ。もちろん内側だけでやっていればいいというわけではなくて、どんどん交流したほうがいいけれど。『おかえりかすかべ音頭』と言っているくらいだから、戻ってきたいときにいつでも戻ってこれるような、そんな文化を作っていきたい。僕たちにできることは、素敵な活動をしている人たちがここにいて、楽しいことがあると発信することだと思っています」

目標は、春日部に住む人々みんなが「おかえりかすかべ音頭」を当たり前のように踊れるようになること。今後の二人の活動を楽しみにしたい。

 

写真:高橋マナミ 文:中村志保