「そこにはないもの」を見せる日本舞踊を
新作で表現し、今に記憶を語り継ぐ
新作日本舞踊 光
-新作長唄による7人の群舞作品-
「太陽」「深海生物」「蛍」「原爆」「灯籠流し」――。自然と人が見せる、そんな美しも愚かしくもある5つの光を題材にした新作日本舞踊《光》が、1月からYouTubeで配信されている。「新作長唄による7人の群舞作品」と謳われる同作を企画したのは、東京藝術大学大学院音楽研究科邦楽専攻日本舞踊領域の修士2年に在籍する飯森詩織さん。古典を大切にする分野にあって、果敢に新作に挑戦するのはなぜか。「日本舞踊の一番の魅力は、そこにないものを見せること」。そう話す彼女に、日本舞踊の世界を案内してもらった。
スタジオに現れたさまざまな情景
2021年11月下旬。目黒のスタジオで配信映像の撮影が行われると聞き、見学に訪れた。
現場に着いてまず目を引いたのは、準備をしていた7名の踊り手の衣装だ。通常の着物に半透明のオーガンジー素材の襞(ひだ)が重なり、オレンジや水色のグラデーションを見せる。日本舞踊にまるで詳しくない取材者でも、一目で一般的な衣装とは違うとわかる。
「この衣装は、工芸科4年 の河邊さんが特別に作ってくれたものなんです」。そう声をかけてくれたのが、今回の作品の企画者である飯森詩織さん。この撮影現場では、カメラワークから音響まで含め、内容や段取りを仕切るだけでなく、自らも重要な役で舞台に立つ。余裕がなくなっても不思議ではない場面だが、テキパキと指示を出す姿が印象的だった。
踊りが始まると、その動きや細かな所作に、またまた引き込まれた。今回の新作が、冒頭に並べた5つの光をテーマとしていることは知っていた。しかし、それが作中でどのような順に登場し、描かれるかという情報はまるでなかった。取材者が驚いたのは、それにもかかわらず、目の前の人の動きと楽曲を通して、そこに様々な情景が現れたことだった。
静けさのなかの回転は星の瞬きに、連なる扇は波になる。海の生き物になったと思えば、等身大の人間にもなり、戦闘機の不気味さや被爆者の蠢きも表現する。大道具も何もないただの平場で、演じられる対象や情景のスケールもバラバラなのに、それを身ひとつで次々に演じていく。こういう表現の世界があるのだという、素朴な感動があった。
多様な「光」の対比で、戦争の悲惨さを伝える
今回の新作《光》は、飯森さんが学部4年次に手がけた同名作品がベースになっている。
創作のきっかけは、たまたま夏の戦争報道に触れ、ふと自分でも戦争を調べ直してみたことだった。「義務教育でも習ったけど、そのリアルや深刻さは全然理解していなかったという衝撃があったんです」。同時に、自分が、戦争を体験した世代から直接話を聞くことができる、やがて貴重になる世代であることも感じた。「戦争や原爆の悲惨さを忘れないように表現することは勇気がいることで葛藤もありましたが、やろうと決めました」
ここで面白いのは、戦争への思いを契機としつつも、飯森さんがそれを「光」というかたちである種、抽象化したことだ。そのことで、「原爆」の醜い火だけでなく、そこに死者を弔う「灯籠流し」や儚い「蛍」の光、地球の誕生に関わる「太陽」や「深海生物」までが含まれ、スケールが広がった。「人の醜さと美しさ、人と自然、地球の始まり、そうしたものの対比によって、より原爆の悲惨さを描けるのではないかと考えました」と話す。
《光》で踊りのバックに流れる唄は、その思いを飯森さんが自ら作詞したものだ。4年生のときの《光》では、ピアノと箏の伴奏のなかソプラノ歌手がそれを唄い、飯森さんが一人で踊った。同作は、「東京藝大アートフェス2021」で優秀賞を受賞した。これを機に、一人ではできない表現をするために「群舞」として立方(たちかた、日本舞踊の踊り手のこと)を増やし、また、通常は古典に使われるため、新しく創作されることは少ないという「長唄」の新作も依頼して作り上げたのが、今回の新しい《光》だ。群舞作品も長唄による創作も、自身初の試みとなる。
それを映像配信に載せようと思ったのは、観客を集めづらいコロナ禍の事情もある。一方で、カメラワークで観客の視線をある程度誘導できる映像は、日本舞踊の初心者に向けて、「ここを見てください」という、一種のガイドができる利点もある。「配信することで、新しい観客とも出会えたら」と飯森さん。なんと、映像の編集も自分で行っているという。
無いものを見せ、変化を演じる日本舞踊の魅力
小さい頃から、盆踊りでは誰よりも中心で踊り続けるような子どもだった。浴衣や着物を着ることも好きで、そのことから6歳のとき、親の勧めで日本舞踊を始めた。実家は日本舞踊とは関係のない、一般の家庭だ。
大きな経験だったと語るのが、小学校4年のとき、坂東玉三郎の舞踊公演『鏡獅子(かがみじし)』に、胡蝶の精役として出演したこと。「自分の踊りが良くないとお客さまの反応もそれ相応になる。シビアなプロの世界を早くに体験できたことはとても大きくて、この世界で生きていきたいと思うきっかけになりました」
2016年に東京藝術大学に入学。日本舞踊を専攻する学生は学部から修士まで含め15人ほどと決して多くはないが、それまで周囲に日本舞踊を学んでいる同世代がほぼいなかったこともあり、全国から若い踊り手が集まった大学の環境はとても刺激的だったという。
そもそも日本舞踊は、歌舞伎を構成する芝居と舞踊のうち、後者の「歌舞伎舞踊」にルーツを持つ。飯森さんのような子役を除き、男性しか出演できないのが歌舞伎だが、そこから舞踊が飛び出し、女性の踊りも加えたものが日本舞踊だ。当初は女性のお稽古事として普及したが、近代になると歌舞伎から独立し、ひとつの芸能として高められていった。
そんな日本舞踊の一番の魅力は、「そこにないものを見せる表現」だと飯森さんは言う。例えば今回の《光》にも、小道具を使わず、目線や手の動きだけで何もない空中に蛍の動きを想像させる場面がある。また、衣装やセットを変えることなく、一人の踊り手が男から女へ、人間からほかの生物や妖怪へ、さらには風や波や火のような自然現象へと、さまざまな存在に次々と移り変わって演じていくことも舞台芸術としての大きな特徴だ。
動きの要素は、大きく「踊り」「舞」「しぐさ」の三つに分かれるという。踊りはリズムや拍子に乗る「跳躍系」の動き、舞は能に連なるゆったりした「旋回系」の動き、しぐさは「マイム」や「所作」のことだと理解できる。《光》にも、当然、これらの要素が入っている。
大学では、主に古典作品を通じてこうした技術を磨いてきた飯森さん。他方、3年のときに新作を創作する実技を体験したことで、自分の感性で新しい作品を作ることの楽しさを実感。「古典には当時の世相が刻まれていますが、同様に、いまこの時代だからこそ感じられること、表現できるものもある」とも感じた。その思いが結実したのが、戦争の悲痛な記憶を客観的な「史料」ではなく、若者として「表現」に昇華しようとした《光》だ。
太陽誕生から被爆地へ。《光》が描く世界
ここで、《光》の大まかな物語を飯森さんの解説で追ってみよう。ぜひ、配信映像を見ながら読んでほしい。
物語は宇宙空間から始まる。最初の立方の回転は、星や分子の回転を表す。やがて重力が集まり、太陽が誕生する。太陽神である天照大神が生まれ、世界に天と地ができる。ここの部分の唄には、「古事記」の原文をそのまま引用している。
次は、日本神話の有名な「天岩戸」のエピソード。天照大神が洞窟に隠れてしまい、世界が暗闇になったため、その前で天鈿女命が楽しそうに踊り、天照大神を外に出そうとする。舞踊の起源とされる大切なエピソードで、天鈿女命を飯森さん自身が演じている。
ここで照明が水色に変わり、扇の滑らかな動きや、たゆたうような身体の動きで、波や海の情景が描写される。視点はどんどん深くなり、やがて深海に。そこではクラゲやクリオネのような、ときに光を放つ、可愛らしい海の生き物が生きている。
雰囲気が一転し、人間の男女が登場する。沈んだ表情の男性は、戦争に行かなくてはいけないのかもしれない。そこに女性が登場し、飛んでいる蛍をともに見る。男性は少し落ち着いた表情を見せるが、女性は静かに去ってしまう。そこに戦争の気配が忍び寄る。
5人の立方が一列になり不気味に登場すると、踊りは激しさを増す。まさに乱舞という雰囲気で戦渦の苦しさが表現される。次の刹那、5人の立方が今度は斜めに一列になったかと思うと、音が一瞬、止む。原爆投下だ。5人は今度は、それまで普通に生活していた被爆者となり、次々に座り込む。ここの唄は、峠三吉の『原爆詩集』から引かれている。
最後は灯籠流しの場面だ。扇と灯りによる灯籠を前に、被爆者たちは静かに去っていく。そこに先ほどの男性が現れる。彼は死者のなかに、ともに蛍を見た女性の姿を見つける。二人はわずかの間、視線を交わすが、やがて異なる方に向かって歩いていく――。
振り付け、音楽、衣装……多くの感性による作品
こだわったのは、先にも述べた日本舞踊のさまざまな魅力や動きの要素を、作品の随所に幅広く入れることだ。なかでも戦争の場面は、振り付けに力を入れたという。
個人的にその動きの凄さを強く感じたのは、戦争のパート冒頭の、「戦争の権化のような女性たちがB29のように戦隊を組んで入ってくる」(飯森さん)シーンと、同じ5人の立方が今度は原爆の犠牲者となり、登場したのとは反対側の袖に去っていくシーンの対比だ。
戦闘機のように、一列で無機質に忍び寄る様子は不穏さに満ちている。他方、同じ一列でありながらも、重力を感じさせない静かさで去っていく姿は霊的な気配を感じさせる。その中間にある、非常にカオティックな戦渦の場面も含め、ごく短い間に次々と対象を演じ分ける踊り手も、振り付けの構成も見事だ。「一番大切にしているのは、ただ振りを考えるだけではなく、そこにいかに感情を乗せるかという部分なんです」と飯森さんは言う。
メンバーは自身で集めたが、在校生は全員女性のため、男性役として同級の卒業生にも参加を呼びかけた。新作に関わることは、学生にとっても貴重な機会。みんな、出演を快諾してくれた。「7人もいるといろんなフォーメーションが組め、表現の幅が広がる。みんな積極的に稽古に参加して、一生懸命練習してくれました」
音楽の作曲は、藝大邦楽科出身の坂口あまねさんが手がけた。「古典的なジャンルで戦争など現代的な問題をどのように表すのかは悩みどころでしたが、坂口さんは洋楽にも精通されている方。長唄の定型的な旋律を超え、坂口さんオリジナルな感性で曲を書いてくださいました」。とくに戦争の場面では、三味線でプロペラの回転や戦闘機の音を表現したりと、さまざまな音を実験的に入れている。
また、お囃子の作曲は「作調」と呼ばれ、同じく藝大邦楽科出身の角田圭吾さんが行った。お囃子は日本舞踊で情景描写を担う。岩戸の開く音や波の音には伝統表現が使われる一方、蛍の場面では澄んだ印象的な音を入れるなど、新旧の感性が混じるお囃子となった。「お二人は作品のコンセプトを理解してくださり、何回も練り直して、素晴らしい曲にしていただきました」
美しい衣装は工芸科4年の河邊実央さんによるものだ。じつは、当初は水色だけの衣装を考えていた飯森さん。そこに、「光や火がテーマであればオレンジも」と河邊さんから提案があり、たしかに光や火には色のグラデーションがあると、テーマに対する自身の解像度も上がった。踊りのなかでも、衣装の珍しい襞(ひだ)を生かすための振りを意識したという。
さらに、快く場所を貸してくれたスタジオのスタッフなどさまざまな周囲の人の協力があり、今回の作品は作られている。
創作と古典の幸せな関係。現代を映す日本舞踊を
戦争の記憶を風化させないという、若い世代としての思いから始まった《光》。それは、日本舞踊本来の魅力と、さまざまな表現の工夫を経て豊かに広がり、戦争だけではなく、地球環境や人と自然の関わりという、より身近な問題にもつながる作品となった。「作品のテーマだけではなく、音楽や衣装もとても現代的。映像で見やすくもあると思うので、ぜひ日本舞踊の入り口として多くの人に見てもらえたら嬉しいです」と飯森さんは話す。
面白いことに、自分自身で新しい作品を作る経験は、翻って、古典作品の理解を深める契機にもなっているという。「ひとつの振りだけでも、すごい時間をかけて考えました。正直に言うと、これまで古典を踊るとき、その振りの意味やニュアンスをつかみ切れないこともあったのですが、自分で作品を作ることで、古典の作者の狙いや思いを少なからず感じられるようになった気がします。新作をつくることで古典がおろそかになるとの懸念もあったのですが、むしろ古典に還元されるものが多いというのは意外でした」
2022年3月には、藝大奏楽堂で上演される作品を募集する「奏楽堂企画学内公募」に採用された企画で、オリジナルの脚本による舞踊劇を初めて作る予定だ。今後も、現代社会の問題意識を、日本舞踊を通して表現することを軸に、活動を続けていきたいという。
写真:高橋マナミ 文:杉原環樹 編集:中村志保