それは自分自身なのかもしれない。
モノオペラが問う、「誰か」とは誰か。

現代室内楽オペラ『PLAT HOME』

2021年7月28日、杉並公会堂で公演が行われた《PLAT HOME》は、地下鉄の駅で起こった爆破テロを題材にしたモノオペラだ。「I LOVE YOU」プロジェクトへ応募した、作曲家・高橋宏治さん(東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修士課程修了)をはじめ、主演を務めたソプラノの薬師寺典子さん(東京藝術大学音楽学部声楽科卒業)、演出・照明の植村真さん(東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了)、脚本翻訳を手がけた田口仁さん(東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、現在東京大学大学院博士課程在学中)の4名に集まっていただき、話を聞いた。

ベルギーでの初演にあたって

《PLAT HOME》の題材となっているのは、地下鉄の駅で起きた架空の爆破テロ事件。事件に巻き込まれた人々と、テロリストそれぞれがモノローグで語る5つの場面から構成されている(最終の第5場は、犠牲者となった少女とテロリストの対話)。2021年7月に杉並公会堂の小ホールで上演された本作品は、2020年にベルギーで初演された《Amidst dust and fractured voice》の日本版で、タイトルをはじめ、曲、演出、脚本を大幅に改編し再演された。

左から植村真さん、高橋宏治さん、薬師寺典子さん、田口仁さん

オペラ作品の構想がスタートしたのは、ソプラノの薬師寺典子さんがベルギーの現代音楽アンサンブルIctus(イクトゥス)アカデミーに所属していた当時。修了公演制作のためだった。
「ベルギーで出会った(初演時の)脚本と演出を担当したスタッフたちと話をするなかで、『記憶と政治』がテーマになりました。『ホームグロウン・テロ』と呼ばれる、自分が生まれ育った国でテロを起こす事件を背景に、その事件が社会に与えた影響や社会階層の分断の問題を描こうとなったのです」(薬師寺さん)

そこで、薬師寺さんが作曲を依頼したのが高橋宏治さんだった。以前、高橋さんが主催する個展で彼女が歌を担当した経緯があったのだという。

薬師寺さんの依頼を受けた当時を振り返り、高橋さんはこう話す。
「薬師寺さんの修了公演なので、彼女の魅力を最大限に引き出せる曲であることが大前提にありました。と同時に、僕の作曲のスタイルとして、限られたアイデアから作品を展開することが好きなので、一人でいくつもの役を演じるモノオペラにうまく表現が重なるかもしれないと思いました」

作曲にあたり、日本にいた高橋さんと、ベルギー在住のスタッフとのオンラインミーティングが何度も行われたが、皆の意見と思いが錯綜しとても大変だったのだそう。
「オリジナルの脚本を執筆したステファン・アレクシッチェは、セルビア出身です。自身の出自に対して思うことが強いためか、最初にできた台本は、7、8時間の上演時間になってしまうのではというもので、オペラとしてとても成立するものではありませんでした。そこで、薬師寺さんと演出家のヤニック・ヴェルウェイも手伝いながら、オペラ用の台本に書き換えていく作業が一つ困難を極めました」(高橋さん)

そして、初演の2カ月ほど前、ようやく脚本が完成した(パンデミックとベルギー初演の時期が重なり、予定より半年遅れての上演となった)。

日本版の制作と、一人で演じるということ

さて、日本上演版では、薬師寺さんが淡々と読み上げるこのような説明で始まる(この冒頭のモノローグは日本版オリジナル。翻訳家・田口仁さんの提案によって改編された箇所の一つ)。

“ここは、とある都市の地下鉄の駅のホーム。サイレント靴の音が鳴り響き、硝子や塵、金属片の舞い散る只中に、一人の女が両手を大きく広げて立っていた。(中略)彼女はかつて警察官だった。人々が混乱するこの状況に、自分がなんとかしなくてはと強い使命感を感じる。(中略)それは次第に、何かに対するパラノイアへと変わっていく。時が凍り付いたように立ちつくすうちに、塵の中に埋もれていることに気づく”

そして、舞台の下手に配置された6名編成のアンサンブルによる、不吉な予感を匂わす前奏曲が始まる。この間、薬師寺さんは舞台の上手に移動し、警察官であることを示す黒いベストを羽織って、再び中央へ戻ってくる。そこで、“叫び”に近い彼女のソプラノで音楽は中断される。
作品では薬師寺さんが一人で4役を演じるのだが、彼女は舞台から一度もはけることなく最後まで進行するため、観客は、役が切り替わることを示す着替えや場面転換を目撃することになる。そこには、私たちはどの人物にもなり得るということを示唆する一方で、決して他者になり切ることはできないという矛盾が誇張されているようだ。

いくつもの役を演じるにあたり意識したことを、薬師寺さんはこう話してくれた。 「人を理解しようと歩み寄る姿勢を表すことがこの舞台の意味ではないか、と皆で何度も話し合いました。『自分以外の誰か』を想像するきっかけになったらいいな、と。ですから、役ごとに声を変えて演じるのではなく、自分自身の声で複数人の感情を表現することに集中しました」

オペラの第1場では、テロの現場に居合わせた元警察官の女が、正義感から犯人の捜索に乗り出していく姿が妄想と現実を織り交ぜて描かれる。第2場では、移民として味わった挫折と苦難の記憶や絶望を持ったテロリストが、テロ実行に至るまで。続く第3場では、ニュースキャスターの女性が、報道を通じて全国民にテロリストとの戦争を呼びかける。第4場では、故郷への複雑な思いを抱く移民の少女が、事件に巻き込まれるまでが描出され、最終の第5場では、冥界への電車を待ちながら、犠牲者となった少女とテロリストが対話を交わす。
皆が求めた「正義」の形はそれぞれ異なり、終わりのない対話が続くまま、電車はやってくることなく幕を閉じる。

「再演」するということ

オリジナルのタイトル「Amidst dust and fractured voice」は、直訳すると「塵(ちり)の中で砕けた声」という意味だが、日本上演時には「PLAT HOME」へと改題。日本版を制作するにあたり、このようにタイトルをはじめ、日本版へとローカライズする要素を盛り込んだり、変更したりした。

「プラットには『区切られた』という意味があって、国や家の区切りとも読めるようにしたかったんです。鉄道の駅のプラットフォームとダブルミーニングですね」と高橋さんは言う。
ヨーロッパでは多様な人種が集まることが一つの要因となり、社会階層の分断が顕著だが、可視化されにくい日本でも分断が存在していることを「自分ごと」に捉えられるよう、タイトルにも表現されたというわけだ。

演出・照明の植村真さんがデザインを手がけたパンフレット

そして、舞台中央の後方に正方形のスクリーンが3つ設置された。それらは、日本語訳の字幕を流す画面としての機能を持つが、時にニュースを映し出すテレビ画面にもなり、過去・現在・未来の時間軸とも捉えられ、それ自体が電車の車両にも見える。このようにセットや小道具はミニマルながら、何重にも読み取ることができるよう効果的に用いられていることがわかる。

演出・照明を担当した植村真さんは、「歌詞が英語なので字幕がないと伝わらないという物理的な障壁がありましたが、各シーンに必要最低限のものにとどめ、音で代用できるものはなるべく視覚的に演出しないようにしました」と話す。

テロリストをはじめ、登場人物それぞれの人物像を想像しやすいように脚本を再構築することは、翻訳者の田口さんが一役買った。
「オリジナルの脚本はとても複雑でわかりづらいものになっていました。日本語に訳す時は、書かれていない文脈をわかりやすくなるように足したり、複雑に提示されている言葉をあえて簡潔な言葉へと訳したりと、ストーリーに柱を立て直すような作業に近かったと言えるかもしれません」と、田口さん。
高橋さんと薬師寺さんも、完成した日本語版の脚本を読んで、物語への理解をより深め表現が広がったと力を込める。

高橋さんは、本作品の「終わり方」について、曲にこだわりを持っていたという。日本版ではベルギー版とは異なる曲が使用された理由を、高橋さんは「日本公演では、実は、ベルギー初演時には演出家からもっと疑問を投げかけるような終わり方をしてほしいとNGになった曲を使いました。でも僕は、対話こそが違いを受け入れるということをほのめかす最後のシーンを、希望のある終わり方にしたかったんです」と話す。

確かに意識して聴いてみると、温かさと希望を感じる明るい曲調で物語は結末を迎えている。だが、なんだか違和感があるような奇妙な余韻が残りもする。
「少し音楽理論的な話になりますが、調性音楽の終止の和声進行には、Ⅴ度からⅠ度という一般的な終止形があります。それを、Ⅴ度からⅣ度という、普通はダメと言われる進行の終わり方を意図的にしているんですね。だから、どこか空虚さがあったり、終わっていないような余韻を残したりするのだと思います」(高橋さん)

「私はここに、さらに深みを増した希望を感じました。初演の時よりもバージョンアップして、これが辿り着いた形だと思うと同時に、再演の面白さに改めて気づきました」(薬師寺さん)

「対話」を糸口に、多様性を受け入れる

《PLAT HOME》では「対話」が大きなカギとなっている。最後に、対話に込めた思いと、制作をすることとは何か、それぞれに聞いた。

「対話と議論は異なります。本作品は、一つの結論に向かって集約されていくものではなく、グレーな部分を残していることが重要だと思います。特にSNSが広まった現代では、作家にゼロから100まで正しい説明をさせようとする評が多いですよね。でも、話さないままにさせてあげることも重要ではないか、と感じています」(田口さん)

「作曲家というと、まさに“芸術家”といったイメージを持つ人が多いと思うのですが、実際は、インスピレーションで作るのはほんのわずかな部分で、計算をしたり、できる・できないと消去法みたいなことをすることがほとんどだったりします。だから僕にとっては、アートの語源となった『アルス(技術)』というイメージが強いんですよね。芸術が特別なものとはあまり思わないかもしれません」(高橋さん)

「そもそもオペラには、『他人と自分』という要素があるのが魅力だと思います。高橋さんは『技術』と言いましたが、例えば、完全Ⅴ度で動いている最初の警察官のシーンなど、完璧主義者の彼女のキャラクターをすごく感じました。技術というよりも、他人のことを想像して書いているんだろうな、愛に溢れているなと、今回のオペラの音楽を聞いて私は感じました」(薬師寺さん)

「自分以外の誰かであると同時に、自分の中にいる複数人とも捉えられるこの作品には、様々なグラデーションがあると思います。少女とテロリストという移民が二人登場しますが、日本では移民といってもあまり身近に感じませんよね。でも、日本では都心と地方といった地域差や、部落や在日朝鮮人の人々の問題などが見えづらい形で存在していると思います。この作品を通じて、自国の問題に置き換えて、他者のことを考えるきっかけになるといいなと思います」(植村さん)

2021年の「I LOVE YOU」プロジェクトに応募するにあたり、高橋さんはSDGsの項目より「不平等」と「平和」を選んだ。「追いやられた人々の声に耳を傾けていれば、異なる結末になっていたかもしれません。移民や人種差別に対する理解を深め、暴力を未然に防ぐためにも、対話の重要性を伝えたいです」と、言葉を結んだ。

本文写真:高橋マナミ 文:中村志保