どこかに存在しているかもしれない、
ガラスに息を吹き込まれた生きものたち。
勝川夏樹ガラス展
今年、東京藝術大学大学院美術研究科の博士後期課程を修了し、現在は近畿大学で非常勤講師を務める勝川夏樹さん。彼女が学部時代から制作を続けているのが、ガラスによって生み出された生きものたちの標本だ。2021年8月24日〜29日、アートコンプレックスセンター東京で開かれた個展「勝川夏樹ガラス展」を訪ね、この世に存在しない想像上の生きものたちをガラスで制作する思いや、持続可能な地球環境を取り巻く生物多様性への考えを勝川さんに聞いた。
ぬるっと溶けたガラスは、生きているように見えた
何かの細胞? 微生物? それとも化石だろうか。生きもの図鑑で見たことがありそうな、あるいは顕微鏡で覗いたミクロの生物のような、不思議な彫刻たち。そのミクロの世界が超拡大されて、力強く、どっしりと目の前に現れる。そして、それらがすべてガラスでできているということに驚く。
勝川夏樹さんがガラスを使って制作を始めたのは、近畿大学の造形コースに在籍していた学部生の頃だ。吹きガラスの技法を学んだ時に、熔解したガラスを見て「あ、これは生きものだ」と感じたのだという。
「身近なところにあるガラスといえば、窓のような無機質なものを想像しますよね。でも、マグマのようにぬるっと溶けたガラスは有機的で、いつまでも見ていられる魅力がありました。と同時に、扱いにくい素材であることにも惹き込まれていきました」と、勝川さん。
当時から一貫して生きものをモチーフに作品をつくってきたが、実はどれも実際に存在している生物ではない。身の回りの動植物を観察したり、文献などから興味深い造形をインプットする。それらを自身のなかで組み合わせることで新たな生きものとして表現しているのだそう。
「発見されていないだけで、もしかしたら似た生きものが過去や現在にもいるかもしれないし、未来に生まれてくるかもしれない。実在したらどんなふうに生きているんだろう?という、ロマンがあると思うんです」と彼女が言うように、想像上の生体をモチーフにすることで、不可思議で深遠なる生態系を想像する余白が生まれてくる。きっと、人間が知らない生きものたちの物語や世界がこの地球にはまだあって、さまざまなすべての命が生かされている。そんなことに思いを馳せる。
「小さい頃から生きものへの関心が強かったのですが、都会に住んでいたこともあって、図鑑や教育番組、博物館で得た情報によって好奇心を満たしていました。でもその情報は、人間によって客観的に観察されたもので、日常生活に多くの生きものが関わっているという実感につながっていたわけではありません。むしろ、人間だけが特別で、さまざまな生態系から切り離された存在のように感じていたと思います」
だが、私たちはいろいろと学ぶうちに、あらゆる生きものは生態系のバランスの上に成り立っていて、人間もその一部であることを知る。そして、人間が自然を壊し、生態系を乱しているのだという矛盾に気づくだろう。
「生きものの姿かたちはとても神秘的で、多様な生態や形態をもつ生き物を純粋に美しいと思います。特に植物や菌類、プランクトンなど原始的な生物には驚きと美しさを感じますね。そういった知的好奇心をもとに制作をしているのですが、作品を通して、さまざまな生物が存在してこそ私たちの現在の生活が成り立っているという事実を思い返すきっかけになればいいな、と考えています」と勝川さんは話す。
それぞれの個性に合った、技法の“多様性”
まるで生物多様性を体現するかのように、勝川さんは制作においても多様な技法を取り込んでいる。吹きガラスのほか、ロウで原型をつくり石膏で型取りし、蒸し焼きにしてロウを溶かし出し、そこにガラスを流し込むという工程を経る、ガラス鋳造。もう一つは「モデリングパートドヴェール」と勝川さん自らが名付けた技法で、ペースト状のガラスを練って手で成形し、乾燥させたのちに焼成するもの(パート・ド・ヴェールというのは伝統的なガラス工芸の技法の一種だが、手作業での造形をより重視するため、先頭に“モデリング”を付け加えた)。
例えば、鋳造技法を使って制作された《紡ぐ種子》(2021)には、どちらかというと静的な印象がある。普段は見過ごしがちな小さな種かもしれないが、ここには、萌芽の前にある、パワーを内部に溜めた種子の力強く静かな世界観が表されているようだ。またタイトルの“紡ぐ”には、ガラスの強度を増すため、いくつものパーツに分けて焼成したのちに接合する意味のほか、さまざまな命の種子が未来へとつなぐ生きものたちのストーリーがほのめかされているように思う。
そして、モデリングパートドヴェールという技法を使った「Fascination with Magnification」シリーズは、成形する際に手で何度も素材を引っぱったり、撫でたり、重ねたりしたであろう痕跡を鮮明に見ることができる。そう、生命が躍動する力強さだ。さらに、3Dプリンターを使って鋳造するという新たな技法を試みた《No Title》(2020)は、どこか無機質な様子を感じさせ、デジタルとアナログの融合を模索する、人間社会のなかに芽吹く新たな命をも想像させる。
勝川さんの話を聞いて、一つ意外に感じたことがある。彼女の作品を眺めていると、制作をスタートする前には完成図のイメージを緻密に描いているだろうと思わせるのだが、事前にスケッチは描かないのだという。
「手が先に動いてしまうんです。特にモデリングパートドヴェールは、頭のなかにあるイメージを身体を使って目に見えるかたちとして造形していくプロセスを実感できる技法かもしれません」
持続可能な世界のために、芸術ができること
さて、2021年の「I LOVE YOU」プロジェクトの募集要項では、「SDGsが示す17の目標と169のターゲットに貢献する企画」であることが要件の一つとして記された。勝川さんは、「海の豊かさを守ろう」と「陸の豊かさも守ろう」という2つの目標を選定し、作品を通して生態系の保護や生物多様性について訴える。
勝川さんは、ガラスという素材に関しても「経年劣化に強く、耐久性に優れているので、正しく保存すれば何千年もその姿を保つことができます」と言う。
「まだ見ぬ生物をガラスの標本として表現することで、永続的にその姿を保存することを試みています。この地球は、身の回りにある動植物だけではなく、人類がまだ観測していない生物を含め多くの生命体が共存によって支えられています。その環境を維持することの重要性について問いかけたい。芸術は直接的に環境問題の解決に働きかけることは難しいかもしれないけれど、人々の意識に変化を起こすきっかけを生む大きな可能性があると思うんです」
最後に、「持続可能な社会」「多様性を享受する社会」「豊かな社会」といった言葉を最近よく耳にするようになったが、勝川さんにとってどんな世界が想像できるか聞いた。
「日本は島国で単一民族のため、お互いの違いを受け入れる意識が低いと感じます。私も海外で生活するまでは何も違和感を感じていませんでした。でも、学生時代に海外で活動することを通じて、さまざまな国の人々と交流する機会を得ることができました。異なる文化や考え方に接し、なかには受け入れられそうもないこともありましたが、みんなそれぞれ違うということを理解したうえで、尊重し合う大切さを学んだと思います」
日々の生活のなかで見過ごされがちな道端の動植物を観察したり、本を読んだり、人と出会ったり、そして、海外に出てみること。そういった経験は、自分の存在の意味を模索することにもつながっていると勝川さんは力を込める。生きものの多様性を知り、享受するために、まずは自分について深く考えることこそ出発点なのかもしれない、と改めて思う。
写真:高橋マナミ 文:中村志保