ヤギと生きる。
人間ではない「他者」の視点で、人間社会を深く見つめる。

ヤギの目で社会を見るための
プロジェクト

2020年12月6日、2頭のヤギが東京藝術大学取手キャンパスにやってきた。先端芸術表現科の小沢剛研究室と「取手アートプロジェクト」が共同で立ち上げたこの企画は、芸術家と学生、地域の人々が一緒にヤギを育てることで、表現を異種・異分野へと広げ、自然の循環のなかで成り立つ「サイトスペシフィック・アートサイト」という、未来につながる環境づくりを目指している。

10年がかりで進んでいた「半農半芸」の取り組み

利根川のほとりに広がる広大な取手キャンパスの一角。バス停脇の草むらで、2頭のヤギが草を食(は)んでいる。近づいてそっと手を差し伸べると、人懐っこい視線をこちらに向けた。

キャンパス内でヤギを飼うことになったきっかけは10年前に遡る。アーティストの活動支援や、市民へ芸術体験の機会を提供する「取手アートプロジェクト」は、1999年の先端芸術表現科開設を機にはじまり、以降、取手市と市民と東京藝術大学の三者共同で活動を継続してきた。2010年、このプロジェクトの主要事業「半農半芸」が立ち上がった。しかし翌年、東日本大震災が起きる。震災を受けて「農」の捉え方に大きなゆらぎがあったその頃、美術学部絵画科油画専攻の卒業生で、アーティストの岩間賢さんは「半農半芸」のディレクターに就任した。

左から、「取手アートプロジェクト《半農半芸》」のディレクターでアーティストの岩間賢(さとし)さん、先端芸術表現科教授の小沢剛さん。「藝大食堂」脇に組まれたヤギの仮小屋の前で。ヤギたちが人参や大根の皮などを食べるので、藝大食堂の食品ロスやゴミの量が減っているという

岩間「半農半芸」のはじまりは、郊外で営まれる「農」に着目し、若い芸術家たちが表現の道を追求する生き方の実践にありました。しかし東日本大震災をきっかけに、活動に関わるそれぞれが、自らが立つ土地を知り、どう生きていくかを探る活動に姿を変えていきました。のちにその活動の舞台となる取手キャンパスは当時、1991年に開設されてから20年以上が経ち、手入れがまったく行き届かず、荒れ放題になっていました。そこで雑草学博士の佐野成範さんから整備方針の助言を頂きながら、動物の生息地、植生のリサーチなど、全校地内の環境調査を2年に渡って行いました。

そして2017年夏、キャンパス内で営業していた生協の撤退を受けて、岩間さんとNPO法人取手アートプロジェクトオフィスは「藝大食堂」の立ち上げを引き受ける。「食」を拠点に地域とつながるコンセプトに基づき、学生や教員だけでなく、学外へ開かれた食堂を目指し、メニューは地場の食材をメインに、既製品は極力使わず、すべて手づくりにこだわった。

岩間さんはこの時期、「半農半芸」の活動をもとに、取手校地の循環の仕組みと、大地の開墾からはじまるゼロからのものづくりを夢想し、一枚の絵にまとめている。題して「藝大取手校地におけるプレイ・グラウンド」。キャンパス内には、田んぼや畑や果樹園、養蜂場があり、制作のための工房や野外劇場が共存している。その絵にヤギの姿も描かれている。

岩間さんによる「藝大取手校地におけるプレイ・グラウンド」

岩間小沢先生とは時々食堂でお会いする機会があり、「何か一緒にできたらいいですねー」という話をしていました。田んぼをつくろうとか、畑は必要だ、などというやりとりのなかに、ヤギの話も出ていた気がする。なかなか一歩が踏み出せなかったのですが、いいタイミングで「I LOVE YOUプロジェクト」があり、だったらエントリーしてみよう、ということでスタートしました。

自分が生きる「負の環境」を変えたい

アーティストの小沢剛さんが美術学部先端芸術表現科の教授として取手キャンパスに赴任したのは、震災直後の2011年。取手市にも放射能のホットスポットが点在し、キャンパス内も雑木雑草だらけ。多くの授業が上野キャンパスに戻り、学生数が大幅に減った時期に重なった。

小沢殺伐、荒廃……、明らかに地力が落ちて、こりゃいかん、ちゃんと考えないといけないと思った。いわば負の遺産のような場所に、なぜ自分がいるんだと恨み辛みを愚痴るより、この環境をポジティブにとらえ、何らかの恩恵に変換できないものかと考えました。ヤギについては大学に勤める以前、農業系大学の学生が作品制作の手伝いに来てくれて、作業をしながら「ヤギ部に入っているんです」という話をしてくれて、「なんじゃそりゃ」って、それ以降、ヤギとコミュニティの関係に興味を持っていました。雑草を好んで食べるし、小屋や飼育スペースも切り出した木や竹を素材につくり、ヤギを中心に環境を考える授業がスタートできれば、負の遺産をひっくり返せるかもしれないと思いました。

自分の居場所へのそれぞれの思い、そして藝大食堂での対話をきっかけに、ヤギを迎え入れる話が具体的なものとなっていく。取手校地を舞台にした「半農半芸」のなかで2019年秋に発足した「耕すプロジェクト」チームは地域の方々で構成され、取手キャンパスの木々の伐採と開墾を進めていた。そこでヤギを飼うというアイディアが共有され、そこに「I LOVE YOUプロジェクト」申請の話もあり、学生と地域の人々の混成チームによるヤギの飼育場の土地整備にも力が入った。ところが、新型コロナウイルス感染症の拡大で、2020年3月後半あたりから動きが完全に止まってしまう。

敷地内で伐採した真竹をヤギの居住環境の素材として活用。柵の制作では、取手市内に暮らすボランティア市民の方々が活躍した。2人とも森の整備に長けていて、80代と高齢だが学生より体力がある(上)。美術学部メディア教育棟の前に建設中のヤギの飼育場には学生たちや小沢さんが制作したヤギ小屋が点在(下)

小沢そこで4〜6月、ヤギに関するオンラインのリサーチをしました。「日本におけるヤギの歴史」「地域別ヤギのカルチャー」「ヤギと宗教」「日本近代小説のなかのヤギ」など、ヤギと人間との深いつながりが見えてきてきました。戦時中の食糧難を救ったのもヤギだし、大陸からの引揚者が、ジンギスカン鍋などの新しい調理法を本土にもたらした。「離島のヤギ」では、昭和30年代まで日本の郊外では普通にヤギが飼われており、離島も同様で、しかし過疎化で無人島になってもヤギだけは繁殖して、現在もヤギだらけの島があることなどを知りました。

その後、7月から許可を受けた学生のみが、月2回の整備を継続。10~11月、伐採した木や竹に材料を限定し、仮設で移動可能なヤギの小屋を制作。10月以降は地域のボランティアも受け入れ、11月には重機を入れ本格的に整地。そして12月6日、とうとう2頭のメスヤギを迎えた。

生後3か月、乳ばなれして1〜2週間のムギ(上)と、10歳のエヒメ(下)。「ムギ」は、房総半島に住む小沢さんの知人のもとで生まれた子ヤギで、急遽譲り受けることになった。飼育指導は茨城大学農学部食生命科学科教授の安江健さんから受けており、その縁で「エヒメ」は、茨城大学から貸し出してもらっている。ちなみに、ムギが知らない食べ物は、エヒメが食べているのを見て真似る。初対面の時、ムギはエヒメの乳に飛びついて、エヒメをびっくりさせた

ヤギは朝、小屋を出て散歩をする日もあれば、草や葉の多い場所につながれのんびり草を食んで時間を過ごす日もある。ときおり、学生たちが見に来て、かわるがわる頭や体をなでていく。離れようとすると寂しそうな瞳を向けるので、つい愛おしくなる。小沢さん、岩間さんも早朝からヤギの世話をしている。学生たちにも変化が訪れ、他の授業では課題の提出が遅れがちな学生も、熱心にヤギと向き合うようになった。

小沢寂しいキャンパスの空気が一変しました。今は飼うことと土地の整備で手一杯ですが、文化人類学、環境生物学、認知メカニズムなど、他の学問と接続するなど、ゆっくり拡張していきたい。ヤギにはヤギの時間があり、10年生きる。芸術は人間がつくるものですが、ヤギの視点で俯瞰したら、もっと広いビジョンが持てるかもしれない。それは客観的に人間を見る方法でもあります。今まで見えてなかったこと、思いもよらなかったことに、ヤギが出会わせてくれるような予感がしています。

ヤギに興味津々の学生。ヤギはラクダの次くらいに水分を摂取せず、寒さにも強い。胃が4つあり、食物が発酵し、熱が体を温めるので体温が高い。糞は繊維質でチベットでは燃料として使われているという

「芸術は人を愛する」とは

「I LOVE YOU プロジェクト」は「芸術は人を愛する」をテーマにしているが、今回、ヤギを通して自然の循環、共生や表現について考えたお2人に、改めてその解釈を聞いてみた。

小沢芸術って人間以外は必要としていない。それがどんなにすぐれた作品でも朽ちていくし、気がつかない人は気がつかない。それはヤギも自然も同じだな、と思って。誰かがちゃんとケアしてあげないといけなくて、「餌ちょうだい」「助けてー」といっている芸術もたくさんある。愛を乞う、声をあげている物事に気づき、手をかけて向き合うという態度を、私たちはどこかに忘れてきたんじゃないかな、と思います。

岩間人と人との向き合い方だけでなく、動物、植物、それぞれとの距離感。距離をちゃんと見極めることをしないといけないと思います。「愛」の手前にそれが必要で、その距離をヤギが介してくれると、とても見えやすくなる。でも、ヤギが実際来たらダメですね(笑)。僕、結構ドライでいられると思っていたのですが、いかに冷静を装うかで精一杯。自分の距離や感覚が、ムギとエヒメが来たことで変わった。再編成されているのを感じています。

写真:高橋マナミ 文:永峰美佳 編集:小林沙友里