これは、小さな国際交流展。
100年以上の時を経た茶室で、現代美術と日本建築の接点を探る。
【臨江閣】RINKO-KAKU
“茶室”プロジェクト2020
群馬県前橋市に位置する「臨江閣」。明治時代に迎賓館として建設された本館、別館、そして茶室があり、建物はすべて国の重要文化財に登録されている。別館入口を正面に見て、右手に続く小道を抜けると現れるのが茶室だ。ここで2019年より3年連続で行われる「臨江閣 RINKO-KAKU【茶室】プロジェクト」。第2回目となる今年は、去る11月12日〜15日にかけて開催された。主宰者の福田周平さんと宮﨑優花さんに、海外から作家を招き、茶室で現代美術の国際交流展を開催する思いを聞いた。
オルタナティブスペース・茶室
敷地へ足を踏み入れると、まるでタイムトリップしたかのような歴史を感じる空間が広がっている。決して大きくはないが手入れの行き届いた美しい日本庭園を前に、8畳間と4畳半間から成るその茶室は佇んでいた。靴を脱ぎ部屋に上がると、木と畳の独特な匂いと柔らかな光に包まれる。ガラス張りのビルには差し込むことのできない光だ。茶の湯に馴染みはなくとも、想像通りと言っていいだろうか、まさに“茶室”であって、気づけば畳にスススッ……と正座して寛いでいた。時代は違えど、千利休がいま生きていたらきっと愛したに違いないだろう。こじんまりとして、素朴で、心地いい空間がそこにはあった。
部屋を見渡すと、作品たちがぽつんぽつんと、立てかけられたり、置かれたり、吊るされたりしていることに気づく。茶室の空間にほんの少しだけ違和感を添えて。散歩がてら立ち寄った風の年配の女性が「美術の何かをやってるって聞いたんだけど」と、福田さんと宮﨑さんに声をかけるのが入口から聞こえてくる。2人が「ぜひ、どうぞ」と笑顔で迎え、天気のことや庭木のこと、世間話を交えて、一つひとつの作品を丁寧に説明しながら案内する姿が印象的だった。
実は、福田さんも宮﨑さんも出身は群馬県。幼い頃には両親に連れられて臨江閣へよく足を運んだという。そんな愛着のある場所でもある。だが改めて、なぜこの茶室で現代美術を展示するのか?という率直な質問を投げかけると、福田さんはこう話してくれた。
「普段は美術にあまり興味のない人にも見てもらいたいと思っているんです。そこで、建築や空間の面白さにも触れることができる茶室を、オルタナティブスペースとして使ったらどうか、と。美術館はハコ状のものという概念があるけれど、そういったホワイトキューブの空間では得ることのできない感覚がここにはあると思います。ただ現代美術となると、来場者も“これ何ですか?”とか“どうやって見たらいいの?”と、わかりづらいものですよね。そのため、理解しがたいものを一度きりではなく、何度か見せていきたいと考えました。3年間続くプロジェクトにしたのはそういう理由で、毎年出品する作家は変わっても、テーマは変えずに行います。また、“現代美術と日本建築との接点はどこにあるのか?”というのは、自分でも掘り下げたいテーマでもあるんです」
国内外から集った、茶室のための作品たち
今回展示するにあたり、建物が重要文化財ということもあり、設置のために釘を使用しないことが条件の一つにあった。残念ながら、当初予定していた海外作家3名の来日は、新型コロナのため今回かなわなかったが、制作を依頼する際には、掛け軸のようにかけるか、または置く作品に限定し、座って見ることを目的に、大型のものではなく茶室の建築空間を妨げないサイズを提案したのだそう。それを踏まえて、ここからは出展作家とその作品を紹介しながら話を進めたい。
イタリア出身のリンダ・カラーラは、普段は大型の立体作品を手がける作家である。宮﨑さんが「展示方法についてすごく考えてくれました」と言うように、今回は床の間の空間に合わせ、現代版・掛け軸ともいえる作品を制作。桐の木板の上に、作家がよくモチーフにする「石」を細密に描いた。石が浮かんでいるような不思議な存在感と、掛け軸の“ぶら下がり”がシンクロするように設置されていることが面白い。浮遊することのないはずの物体を眺めていると、字間や行間を想像力で埋めることによって、壮大な宇宙をつくることができると考えた松尾芭蕉の俳句さえ想起させる。また、木板は真ん中で折りたたむことができ、作品自体を自立させて展示することもできる仕組みになっている。
本展の企画・キュレーターを務める東京藝術大学大学院美術研究科2年の福田さんは、学部時代に日本画を専攻していたということからもわかるように、古典的な日本美術の素材に強い関心があるという。空間に広がりをもたせ、また、「破壊」と「調和」のぎりぎりの境界を意識し、あえて高さが収まらないサイズの襖を持ち込んだ。その全面には銀箔が施されている。ピカピカと光る銀箔は見る角度によって色を変え、時間の経過とともにゆっくりと変色を起こす。開け放たれた窓から吹き込む風に、完全に貼り付けられていない端の部分がひらひらと揺れ、少しずつちぎれて舞う。儚く、そして力強いという相反するような“存在”を体現し、“そこにある”ことを思わせると同時に“もうそこにはない”という感覚を呼び起こすようだ。
ビクトリア・クゥルシはオーストリアの作家だ。光沢感あるシルク素材でできた《Triangle / Ring》(左写真)は、円形の底部から上部にかけて三角形に変化する形状になっている。作家が日本建築に対して抱く「入る光は柔らかいが、その空気には緊張感がある」というイメージを表し、柔らかさ(円)と鋭さ(三角)を兼ね備える作品となった。8畳間と4畳半間の2室を結ぶ廊下板に設置され、ちょうど2つの異なる空間をつないでいるように見える。上から覗き込むもよし、床に座って横から眺めるのもよし。角度を変えて様々に見える形は、茶室の建築の見え方にも似るところがある。
福田さんとともに本展の主宰者であり総務を担当する宮﨑さんは、武蔵野美術大学大学院修士修了後、制作活動を行い、これまで一貫して「素材の変化」をテーマにする作品を制作してきた。茶室の炉の形に合わせ四角い形をした作品(左写真)には、灰・金粉・炭を粉状にした顔料が塗布されている(ちなみに灰は、宮﨑さんが過去に制作した自身の作品を焼却した過程で出たもの)。塗料の水分が蒸発する自然変化によって、ひび割れた隙間からちらちらと金が輝き、また、角度によって漆黒に見えもする。物質が燃焼するプロセスで生まれる灰や炭が別の形へと変化する。流転や無常観とも紐づけられる表現に、かつて使用されていた茶室の炉の火を見るような気がした。
ハンガリー出身のフォルゴ・アーパァードによる《RK2》(左写真)は、木造建築に着想を得て杉の木を基調としており、樹脂加工を施したつやつやとした面とのコントラストが目を引く。水色は、作家が想像した茶室の庭園に流れているであろう川を想像した色で、作品を水回りのそばに設置したのはそのためである。作家の日本文化に対する印象は、鋭利さとカーブがかった面の同居や、無垢の木板の厚さが上部にかけてやや薄くなるという繊細なつくりにも表されている。また、静と動を同時にあわせ持つ万物の縮図にも見えるようだ。
国際交流展から生まれるもの、芸術から受けとる愛について
今年は上記5名の作家で構成されるが、福田さんがこの「茶室プロジェクト」を企画するきっかけとなったのは、自身の海外での体験にある。
「僕自身も海外で展示をする経験のなかで、人種をはじめ多様な作家との交流がありました。自分も海外で展示をするのと同時に、海外の作家を日本に連れてきたらいいんじゃないか?と。また、日本建築の空間の中で日本人の作家だけで構成するのでは、なかなか新しい気づきがなく、新たな交流も生まれにくい。海外の作家との交換プロジェクトではあるけれど、日本人にとっても改めて自国文化を考えるきっかけになるのでは、と思います」(福田さん)
また、宮﨑さんはこう続ける。
「臨江閣と茶室が建てられた歴史を遡ると、もとは迎賓館ではあるのですが、新しい文化や教養を行き渡らせようという目的もあったそう。時代は異なるけれど、私たちも同じような思いで現代美術を紹介していければと思います。昨年ドイツで展覧会を訪れた際に、おばちゃんが“これいいと思うわ”と自分が作品をどう受け取ったか自分の言葉で熱心に話す場面を見て、日本とは全然違うなと感じました。もちろん、日本人は、と一括りにはできないけれど、“美術の展覧会やってるんですよ”と声をかけても、“あ、結構です”という反応も多くて、知らないものには触れてはいけないという空気を感じます。でも閉じられた世界では決してないから、外国の方を含めて意見の交換ができれば有意義だなと思っています」
2人の話を聞きながら、茶室であることが腑に落ちる。いつの間にか取材スタッフも、福田さんと宮﨑さんと一緒に、畳の上で輪になって座り、話し込んでいたから。こんなふうに肩の力を抜いて、誰もが美術について語り合える場を、2人はつくりたかったのではないか。
最後に、「I LOVE YOU プロジェクト」のテーマである、芸術から愛を感じることについて聞いた。
「人に対して何かを与えたい、伝えたい、という気持ちは愛に近いものではないかと。それがないと、作品をつくり続けることはできないと思うんです。自分のためだけでは何かを造形することはできない。作品を通して人と繋がることも必要ですし、様々なものとの繋がりのなかに愛は存在していると思います」(宮﨑さん)
「繋がりは僕も同感です。作品の中にも愛は込もっているし、今回も展示してもらった作家たちの作品を見て“これとこれは違うね”“ここは同じだね”と、繋がりや接点を発見することもできる。それは一つの愛だと思うんです。また、それぞれの言語が違っても、国を超えて愛というのは同じだったりするのではないでしょうか。愛とは形にならないものですが、でも、相手に伝わるもの。形にならないものは国境を超えていくと思うんです。そのような形のないものと、特にわかりづらいと言われがちな現代美術との接点をこれからも探っていきたいです」(福田さん)
写真:高橋マナミ 文:中村志保 編集:小林沙友里