あなたが、あなた自身を認められるように。
音楽と美術は、ひとつの物語を語りだした。
SPICA
東京藝術大学の在学生4名により「SPICA」が結成されたのは昨年のこと。演奏、映像、朗読、歌によって構成された、ライブ感に溢れる“生音楽絵本”の公演を行うユニットである。2020年10月31日〜11月30日の1カ月間YouTubeで配信されたのは、「今、この瞬間を生きること」をテーマに、コロナ禍のなか書き下ろした新作《ニーヴェといのちの水》だ。「どんな人でも楽しめる芸術の場の創造」をテーマに掲げるSPICAのメンバーは、芸術からどんな愛を受け取り、人々に愛を届けるのか。
多くの人に伝わる表現とは
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科4年の川畑那奈さんが映像を手がけ、同大学音楽学部器楽科3年の宮城薫さんがフルートを、同器楽科を昨年卒業しフリーの演奏家として活躍する月嶹アミさんがヴァイオリンを、そして今年3月に同大学院声楽専攻を修了し、現在は筑波大学附属聴覚特別支援学校に勤務する川中子みのりさんが脚本・朗読・歌を担当。この4名を中心とするSPICAは、作品ごとにゲスト演奏者を迎える形式で生音楽絵本の公演を行なってきた。
いまから一千年後の地球を舞台にした物語《ニーヴェといのちの水》は、ナレーションによるこんな問いかけで始まる。「どこかで私たち、一度お会いしたことはありませんか?」。川中子さんの心に響く美しい声に引き込まれ、見る者はすぐにその物語へと誘われていく。かつて滅びかけた人間を救ったといわれる小さな泉を守り続ける王国・ニーヴェでは、水と太陽の恵みを大切に、人々が慎ましく生きている。だがあるとき、平和な王国に不穏な影が忍び寄る……。
ベートーヴェンの「月光」やプーランクの「フルートソナタ第2楽章」など数曲を織り交ぜながら物語は進行し、叙情的な旋律と、柔らかながら芯のある言葉の一つひとつが呼応するようにシーンを盛り上げる。その抑揚が、まるでときおり寄せる波のように、物語全体を心地よく流れていく。そしてその背景には水彩で描かれた映像が映し出され、まさに“動く絵本”という言葉がぴったり。生き生きとして動き出すその全てが不思議なほどに美しく溶け合い、SPICAが創造した世界観にふわりと包まれるのだ。ニーヴェ王国に降りそそぐ光のまばゆさや、水のせせらぐ音、可憐に咲く花の匂いまでを感じるほどに。
さて、公演のフライヤー用に作成したSPICAの紹介文にはこんな言葉がある。「どんな人でも楽しめる芸術の場を提供したい!」と。「どんな人でも楽しめる」「幅広い層の人々に届ける」というのはよく耳にするフレーズだろう。だが、ただ単純明快でわかりやすい表現にすればいいのかというと、そうではなく、案外に難しいことではないか。つくるとき、演奏をするとき、どんなことを工夫しているのか彼女たちが話してくれた。
「より多くの人に届けるという意味では、“物語”というのがすごく大事な要素。例えば、音楽が好きな人、美術が好きな人がそれぞれいて、演奏会に行ったり展覧会を訪れたりしますが、双方が分断されていることも多いですよね。そこで、物語はその分断されているものをつなげてくれる役割があると思うんです。音楽にも美術にも馴染みがない人や、芸術ってちょっと高尚な感じがして関わりづらいと感じている人も、物語があればわかりやすいのではないかなと思います」(川畑さん)
「今までSPICAで演奏してきて感じたことなんですが、すごく耳馴染みのいい言葉が選ばれているんですよ。私の場合、フルートを演奏しながらでもすっと言葉が入ってくるんです。その言葉を聞いていると自分の演奏もまた変化してくる。一人で演奏するときには得られない不思議な感覚ですね。聴いている人も似たような体験をしているんじゃないかな。そうだといいなと思っています」(宮城さん)
ところが、メンバーのそのような思いを聞いて、脚本を手がけた川中子さんはこう話すのが興味深い。
「私にとっては、物語は曲をつなげる“つなぎ”でしかないんですよ。演奏自体もそうですが、演奏者自身それぞれが“作品”だと思っているから。やはり普段の生活で生演奏を聴きに行く機会はあまりないと思うので、本物の演奏がどれだけ素晴らしいか、もっと多くの人に知ってもらいたいんです。そこに面白そうな物語があれば、行ってみようと思ってくれる人が少しは増えてくれるんじゃないかなって」
公演を見れば一目瞭然ではあるのだが、メンバー同士の互いへの思いやりがうまく融合しているというべきか、そう、そこに愛を感じるのだ。
「音楽と言葉がどこでうまく合わせられるのか実際にやってみないとわからないことも多いのですが、ぐっと合う瞬間があって、自分たちでもすごく驚くことがあるんです。みんなが同じように感じていることもわかるし、それはすごく不思議な体験ですね」(月嶹さん)
人は一人では生きられない
最後に、「芸術が人を愛する」という言葉を掲げるI LOVE YOUプロジェクトのメッセージをどう受け取り、制作したのか聞いてみた。
「今回応募するにあたり、芸術が人を愛するってどういうことか考えてみたのですが、正直すぐに答えは出ません。でも芸術にしかできないコミュニケーションがあると信じていて、こうやって何かをつくってみると思わぬところで人とつながったと感じられることがある。特に今回の舞台に関して思うのは、見ている人たちが自身を認められる感覚になってもらえるようなものにしたいということでした。それぞれやってきたことは違っても、“これでいいんだ”という気持ちになって力を持ってもらえたらいいな、と」(川畑さん)
「コロナ禍での自粛期間中には“そもそもなんで生きているんだろう?”と、改めて考えた人も多かったと思います。私もそんなことを思ったけれど、やっぱり最後に行き着くのは、それでも生きているって素晴らしいということ。そしていつか自分はいなくなるけれど、その先も人間は生き続けていくということ。仕事で子どもたちと関わるようになったこともあって、未来を生きる人たちの世界を想像するようになりました。今の私に何ができるかというと、自分自身の命を大切にすることです。それが人の命を守ることにつながると思うから。一人で生きているんじゃない。そんな思いを発信していきたいと強く思っています」(川中子さん)
まさに彼女たちの言葉を象徴するように、ニーヴェの物語には一羽の白いハトが鍵となって登場し、王国に住む人々に何度も「大丈夫だよ」という言葉をかける。言葉に救われた人々は孤独から解放され、もう一度生きる力を得ることができるのだ。白いハトは、全ての人の心に存在する“愛”なのかもしれない。
公演のフィナーレには、竹内まりやの「いのちの歌」が声楽曲として演奏される。〈生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに 胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ〉という歌詞で始まり、ニーヴェの物語に、彼女たちの思いに、ふさわしい選曲だ。楽器とソプラノの力強いハーモニーとともに、これまでもこれからも続いていく生命の系譜までもが見えるような気がした。そういえば、物語の冒頭にあった「どこかで私たち、一度お会いしたことはありませんか?」と問いかける声の正体は、もしかすると、かつて出会ったことがある自分自身かもしれないし、人生では出会うことのない誰かかもしれない。ただ、人間という存在を広い視野でとらえて眺めてみること。それも一つの愛のかたちなのではないかと思わずにはいられない。
写真:高橋マナミ 文:中村志保 編集:小林沙友里