境遇の異なる者たちが、記憶をひも解き、映像で語る。
視点をわかちあうことで、互いを尊重しあえるように。
Collection of Recollection
2020年2月。新たな時代の幕開けを予感させる東京で、過去の出来事を振り返り、その痕跡を追うことをテーマにした展覧会「Collection of Recollection」が開催された。東京藝術大学先端芸術表現科出身の笹川治子と加藤久美子による「actica」が企画し、12カ国・12組の作家が映像作品を展示。それぞれの視点でとらえた「Recollection=思い出」を集めることで、世界の多様さとそこに共通するものを照射した。
元銭湯でマルチパースペクティブな国際展を
四ツ谷の住宅地に佇む、宮造りの銭湯らしき建物。中に入ると、映像が流れている。異国の風景、人、その声、音……一つのスクリーンに投影され10~15分おきに切り替わる動画にはさまざまなものが一見とりとめなく続けざまに映し出される。懐かしいようで新しいような、遠いようで近いような妙な感覚が、タイムトリップしたかのような空間のためか、強く感じられる。
これは銭湯をリノベーションしたオルタナティブアートスペース、四谷未確認スタジオで行われた展覧会。東京藝術大学先端芸術表現科の同期だった笹川治子さんと加藤久美子さんによるクリエイティブユニット「actica」が企画し、笹川さんを含む12組のアーティストが映像作品を展示した。まず注目すべきは、12作家の出身国がすべて異なるということ。Eginhartz Kanter(エギンハーツ・カンター)はドイツ、Katharina Gruzei(カサリナ・グルゼイ)はオーストリア、Roya Eshraghi(ロヤ・エシュラヒ)はイラン、Alison Nguyenはアメリカ、Ding-Yeh Wang は台湾、Furen Dai は中国、Masenya Fishaは南アフリカ、Mikhail BasovとNatalia Basovaのユニットはロシア、Minha Leeは韓国、Mkrtich Tonoyanはアルメニア、Pied la Bicheはフランス、そして笹川さんは日本だ。
藝大の大学院美術研究科 先端芸術表現領域で戦争画を研究していた笹川さんは、2015年に「戦争画STUDIES展」を東京都美術館と共催、2018年に「1940’s フジタ・トリビュート展」を東京藝術大学陳列館で開催し、日本の戦争画を掘り起こしつつ、海外の戦争画についても関心を寄せていた。2019年の文化庁の新進芸術家海外研修制度で訪れたドイツの軍事博物館では歴史資料と現代アートを交えて多様な見方を交差させるマルチパースペクティブな展示方法を目の当たりにし、歴史をリサーチしながら表現する海外作家の作品と並べることでさまざまなアプローチの仕方を見せる展覧会を構想。そして2017年に新宿のS.Y.P art spaceで行われた展覧会「EXPERIMENTAL FIELD TOKYO」でエギンハーツさんとカサリナさんと知り合ったことをきっかけに、本展を企画した。
その結果、それぞれが異なる国での異なるトピックについて異なる視点でアプローチしながら、それらがあちこちでクロスして響き合う展示ができあがった。「上映順も、例えば旧西ドイツとフランスとのサッカーの試合の映像の次には、旧東ドイツの映像、台湾についての映像の次には台湾の作家の作品というふうに、クロスする部分が見えやすいよう工夫しました」と笹川さんは言う。
それぞれの視点でつくられた作品
会期中に来日していたアーティストにも話を聞くことができた。都市に介入して公共性に切り込む作品を制作してきたエギンハーツさんは、6歳までの幼少期を旧東ドイツのライプツィヒで過ごし、東西統一後に街が変わっていく様子を見てきた経験から、旧東ドイツでつくられた16mm フィルムで思い出の場所を撮影。個人的な思い出と偽りの記憶をテーマに実験的なエッセイとしての映像を制作した。使用期限が切れ、感光が進んだフィルムに映し出された旧東ドイツのモニュメントや街並みを見ていると、当時の映像かと錯覚してしまいそうだ。
「個人的な記憶と集団的な記憶の違いを見せたいと思いました。旧東ドイツの独裁政権下の暮らしについて改めて聞いてみると、幸せではなかったという人もいれば、当時は良かったという人もいて、人によって捉え方がさまざまなのはもちろんですが、記憶が変わっている、改ざんされているところもあるのではないかと。例えば第二次世界大戦という一つのことにしても、国によって違う形で記憶されています。今はインターネット上で旧東ドイツの写真や話がシェアされていますが、若い世代には当時の直接的な思い出はなく、事実的な記憶と感情的な郷愁の境界線をさまようことになります」(エギンハーツさん)
オーストリア出身で、社会政治学、ジェンダー、メディアに関心を持ち、場所に由来する作品を展開するカサリナさんは、リンツにある国営のタバコ工場で、リュミエール兄弟による世界初の映画《工場の出口(La Sortie de l’Usine Lumière à Lyon)》(1895年)を参照した映像を制作。このタバコ工場はリンツで女性を雇った最初の工場で、工場閉鎖後は彼女が通っていたリンツ工科造形芸術大学の校舎が置かれていたこともある思い出の場所でもあった。蛍光灯が明滅する暗い工場の中を男女の工員たちが歩く光景には不穏さが漂う。
「リンツも東京も脱工業化し、デジタルで何でもできる社会になりつつあると言われますが、一人ひとりが集団として声を上げなくなってしまったら、社会はどうなってしまうでしょう。工業の時代はさまざまな人が一つの場所に集まり、労働し、一つの発展を築いていましたが、今やそういう時代ではなくなってきた。そうなった時の社会の在り方、コミュニティの在り方を問うています」(カサリナさん)
1985年にイランに生まれ、バハーイー教を信仰し、15歳でコスタリカに移住したロヤさんは、記憶、移住、家族、アイデンティティなどをテーマにドキュメンタリーをベースとした作品を制作している。本作はキューバの廃ビルの瓦礫に根を張る一本の木をモチーフに、イランで宗教上の理由から親類が処刑されたという経験に関連しながら、故郷の喪失ばかりでなく希望をも描き出していた。
「世の中には大きく『解体』と『構築』という二つの要素があって、私にとってアート作品をつくることは構築であり、ポジティブな方に人々を引っ張っていく、人類の希望を引き寄せることだと思っています。人にはさまざまな次元があると思いますが、なかでも精神的な次元と感情的な次元を大事にしたい。アートはそういった目に見えない部分によりフォーカスして、人々の意識を向けさせることのできるものだと思うので。私たち人間はそれぞれ違うように見えて、どこか共通点があるもの。作品を通じて、心の結びつきをつくり、一つであるということを伝えたいですね」(ロヤさん)
1983年に生まれ、藝大で戦争画を研究してきた笹川さんの作品は、一人の女性の笑顔にはじまり、その撮影の舞台裏を映したもの。この女性は監督から「心の底からの笑顔」を求められ、何度もやり直しを命じられ、笑顔をつくり続ける。2019年に台湾で展示する機会を得て、戦時中に台湾で起きた悲劇をもとにつくられた日本のプロパガンダ映画と、東日本大震災直後に放映されたテレビコマーシャル(歌声が耳に残る、挨拶の励行をテーマにしたCM)からヒントを得て本作を制作したという笹川さんは、「笑顔を見せることによって、擬似的なアイデンティティの喪失と確立が同時に起こり、受け入れ難い厄介な状況がかき消されてしまう」と語る。ある状況下でつい笑顔をつくってしまう、そんな経験がある自分と、戦時中に笑顔を強いられた人々が重なるとき、複雑な思いがよぎる。
「台湾の同世代のキュレーターとともに戦中の映画についてディスカッションしながら制作するなかで、一つの事柄に対してさまざまな見方があるんだということを実感する体験をしました。それを伝えたいという思いは今回の展覧会にもつながっています」(笹川さん)
「I LOVE YOU プロジェクト」としてやる動機
「I LOVE YOU プロジェクト」は「芸術は人を愛する」をテーマにしているが、今回はそれをどのように解釈したのだろうか。主催者の二人に聞いた。
「予算の都合もありましたが、映像というーつの表現形式を定めておくことによって、各国の作家が抱える問題意識の違いも見えてきやすくなると思います。そしてその発見は、人々の立場の違いを認めることにつながります。今回は12組でしたが、もっと手を広げればもっと複雑なパースペクティブができると思います」(笹川さん)
「今、多様性という言葉がよく使われていますが、私含め多くの人々が知らないことがもっともっとあるんだと思います。この12人の作品を見るだけでも、世界ではこんなことが起きているんだ、それが関わり合っているんだと気づかされます。作品のなかにはネガティブとされる要素も盛り込まれていますが、それを含めてその人が形成されているということが見えてくると、ネガティブなだけではないと思えてくる。いろんな経緯を辿っていくことが本当の意味で人を理解する、思いやることにつながるんじゃないかと」(加藤さん)
芸術に「愛」を感じる時
「I LOVE YOU プロジェクト」にちなんで、芸術に「愛」を感じる時があるとしたらどんな時だろうか。
「アーティストって、発想がぶっ飛びすぎるときもあるんですが、それを見ることで、『あぁ、もっと違うやり方で頑張ってみようかな』みたいに勇気をもらえる時があります」(笹川さん)
「海外で十代を過ごして、言葉のつながらない者同士がどうしたらつながれるのかずっと考えていましたが、アートにはものすごい可能性があると思います。ヨーロッパ圏ではアートがパブリックな空間に当たり前に存在していて、人々もそれに普通に接していて、例えば何か抗議をする時に、広場でデモをするのではなくオブジェを並べるということもあって。言葉ってある意味かなり強い道具で、もう少し暴力性を薄めて抵抗を見せる、力を見せる、そういうことはアートにしかできないと思っています」(加藤さん)
写真:高橋マナミ 文:小林沙友里